1991 『iS』 No.53
私は父の家業が電気店という環境も影響して、幼い頃からラジオやテレビといった電気製品に取り囲まれながら育ちました。小学生の頃、友達が家族でテレビ番組の取り合いをしたという話をよく聞きましたが、私の家では皆無でした。店に行けば、いつも10台くらいのテレビが並んでいて、NHKから民放まですべてのチャンネルを見ることが可能でした。何度も同時に見て楽しんだ記憶があります。さながら、今でいえばマルチスクリーンといったところです。その頃はテレビがモノクロからカラーへの移行期で、店も繁盛していました。
このような環境と同時に、私は双生児という運命のいたずらで、幼くしてオリジナルとコピーの真偽について、異常にこだわり悩んでいました。双生児は人間のコピーの最少単位であり、写真は無限のコピーが可能なメディアです。
私は七年間に、主要な三つのシリーズを発表してきました。一作目は都市景観のアプローチ「IN TOKYO」、二作目は軍事用通信基地のアンテナをテーマにした「ZONE」、どちらも8×10インチの大型カメラ使用による克明写実と写真独自のパンフォーカスを実現した、写真の正攻法を方法論として制作してきました。この二作では、映像として完結した写真という事実にかかわらず、写真にとっての現実が常に写真を越えた社会的現実としての意味性に拘束されたものとして私自身考えていました。写真独自のリアリティの問題への興味より、写真を制作する過程としての社会的現実の、都市なり軍事問題なりへの興味の方がはるかに比重が大きかったのではないかと思います。
しかし制作を続けていくうちに、徐々に写真の持つ独自のリアリティへと興味と関心が移行していきました。写真は当の本人が考えたり表現したりする目論見を、くつがえしたり越え出た映像を本人にあたえます。それは時に暴力的強制力をもって、意識に刻印されます。この現実と写真の落差を制作を通して経験するうちに、写真から多くのことを学んでいきました。これは単に現実を対象とした写真にかかわらず、イメージの映像化をめざしたメイク・フォトあるいはコンストラクテッド・フォトにしても同じではないだろうかと思います。
私の近作、「マテリアル・エボリューション」では、前作の「人工楽園」の対象である植物を枯れさせ、あるいは腐らせ、それに白黒の塗料で色をつけるという方法から、完全に対象であるべき物を粘土で作り上げ塗色し、光にも色をつけてライティングするというところまで行きつきました。しかしストレイト・フォトにしろメイク・フォトにしろ、見かけ上の表現の違いにかかわらず、写真のもつ独自のリアリティの構造にはあまり差異がないのではと考えるようになりました。どちらの場合も、対象としての現実と写真映像としての現実のあいだには、コインの表裏のような共犯関係によって保障されているリアリティがあります。
例えばコトバは、意味するものと意味されるものとの恣意性によって成立しています。たとえば、ピーマンというコトバと、ピーマンそのものとのあいだには何ら必然的な関係は存在しませんが、写真においては、ピーマンの写真とピーマンそのものとのあいだは類似関係という必然性によって保障されてしまっています。
ここが曲者で、写真はこのことを利用もできれば逆に悪用もできます。我々は類似を前提とした写真映像と、恣意性によって成立しているコトバの複雑な作用によって、写真のもつ独自のリアリティの謎を識るわけです。十九世紀が生んだメディア、写真映像がさらなる迷宮の涯てに、かい間見せてくれる映像世界を今後とも創造していきたいと思います。