杉田 敦 (美術評論家・女子美術大学芸術学部教授)
2003『美術手帖』
6月号 Vol.55 No.835
21世紀の戦争と美術 イラク戦争以後のアートを考える
戦争は、写真にとって常に重要な問題を突きつけてきた。古くは、クリミア戦争や西 南の役から被写体としてレンズの向かう先にあることで、その画像に多くの人々を引き 込むこと同時に、その場所へ多くの写真家を誘惑し続けてきた。ロバート・キャパの《 崩れ落ちる兵士》が演出されたものだと疑われたとき、報道写真家の桑原史成は、キャ パの時代にはその程度の演出は許されていたと、キャパを擁護しつつ述べいる。そうし た許容度の変化は、その後も起こったのだろうか?
今回のイラク戦争で、アメリカの新聞「ロサンゼルス・タイムズ」紙のカメラマンが 、写真を合成したことがばれて解雇されているが、写真がすでに真実を伝えるメディア として機能しないという事実を露呈したという意味ではむしろ評価されるべきなのかも しれない。彼が合成したとする2枚の写真は、捏造された光景と酷似した状況がそこにあ ったという事実をむしろ示している。ある意味でそれはキャパよりも抑制された演出で あるにもかかわらず葬られつつある。写真家の伊奈英次は、こうした事態に対して、カ メラマンが悪いのではなくPhotoshopが悪いのだといささか挑発的に語っている。*1 この指摘は的を射たものだ。写真というテクノロジーの周辺に、その核心の「真実を伝 える」という機能を蝕むものがすでに十分に生育していること、にもかかわらず、そう した事態と正対しようとしないということこそが問題なのだ。
問題は、ドキュメントとして不適切な写真ではなく、写真がそのものがドキュメント の資料として適しているかどうかだ。しかし、PC(ポリティカル・コレクトネス)一色 だった昨年のドクメンタ11でも、そうした疑いを抱く作品は皆無だった。テロのパロデ ィを利用したアトラス・グループと、映像ではあるが、ホラー映画を利用したスタン・ ダグラス以外には、そうした意識は感じられなかった。
かつてゲルハルト・リヒターが、70年代のドイツの戦争とも言うべき西ドイツ赤軍関 連の写真を題材とした俗に「October」と呼ばれる作品を発表したのは、事件発生から 10以上を経てからのことだった。時が流れ、左右それぞれの立場に立つものの瞳の曇り が晴れたとき、彼らの目の前に現れたのは、死体とも何とも判別しがたいやせた男の横 たわる姿であり、優しげな微笑を投げかける少女のポートレートだった。それは刑務所 内で不審な死を遂げたテロリストでもなければ、やがてテロリストに成長する少女の若 かりし日の姿でもなかった。*2 確かに写真は、言語化不能なものを伝える豊かさをた たえている。けれども同時に、リヒターが示すように写真が伝えるものはわずかでしか ない。そうした写真が種々のコンテキストの中で利用されてきたことを、ドクメンタの アクティヴィストたちが知らないはずがない。彼らは糾弾すべき対象がそうする際には 敏感だが、自分自身に対してそれを当てはめるというあたりまえのことを怠っている。 「October」が静かに物語るように、多くの場合、写真の問題はそれを受け取る側の問 題でもある。メディアが振りかざす「真実を伝える」という名目にしても、一方の主張 だけで容易に成立できるものではない。わたしたちは、自分たちを「真実を求める存在」とみなしたいのだ。けれども、わたしたちは本当に真実など知りたいのだろうか?
イラク戦争の開戦の開戦から3日目、アルジャジーラのホームページに、頭蓋骨に大きな穴を開けられた少年のショッキングな写真が掲載された。頭髪のついたままの頭皮がめくれ上がれ、埃にまみれたままの少年は、驚くほど安らかな表情で息絶えていた。けれども、本来であればわれ先に報道するメディアに、その目を背けたくなるイメージが流れることはなかった。わたしたちは、真実など知りたくないのかもしれない。もちろん、やっかいなことに、この写真にも、このテキスト前半の問いが影を落とす。その写真は本物だったのか?わたしたちは、本物であろうとなかろうと、期待していた結末の到来を待っている。そのための多少のエピソードは必要だが、茶番であることを暴露するようなLAタイムズのカメラマンのような失態は許せないし、かといって、辛すぎる事実を語るアルジャジーラの写真など望んでいないのだ。結局、わたしたちは、適度な物語の中でまどろんでいたいだけなのかもしれない。*3
けれども、眼前の戦争に従軍するようなリアルタイムの写真に限界があるとしても、 写真というメディアが戦争に言及できないわけではないはずだ。例えば、空対地演習場を撮影したリチャード・ミズラックの《BRAVO20》は、その地を国立公園化しようという部分を除いても十分に戦争について言及している。あるいは、ジェフ・ウォールの《死の軍隊は語る》は、戦闘の悲惨について語りながら、趣味の悪い演出でメディアの脆弱さも同時に突きつけてくる。あるいは、湾岸戦争の映像にヒントを得たというトマス・ルフの夜景のシリーズも、暗視スコープという軍事テクノロジーが戦場と日常を分け隔てなく対象とするグロテスクさを暴くことで、遠まわしに戦争について言及する。あるいは、「Photoshop」の罪を口にした伊奈英次の在日米軍の通信施設を撮影した《ZONE》も、日常生活の背後に蔓延る軍事ネットワークを扱うことで戦争へと接近していく。かつて写真評論家の重森弘淹は、報道写真は戦争や経済危機などの時代に活性化すると述べた。けれどもそうした事態はむしろ逆転しつつあるのかもしれない。戦争への言及は、かつて活性化を促した時代ではなく、むしろそれとは逆の平時にこそ可能なのかも しれない。
*1 4月12日にart&riverbankで開かれた緊急トークセッション、「戦争と写真」に おける発言。出席者は、伊奈英次の他、飯沢耕太郎、深川雅文、生井英考、杉田敦。
*2 RAF(西ドイツ赤軍)のメンバーの一人、ウルリッケ・マインホフの少女時代の ポートレートと思われたものは、彼女の36歳のときの写真だと後にわかる。リヒター も誤解していたらしい。
*3 前出のトークセッションで、生井英考は、ニュース番組のエンディングでイメー ジ映像として使われる写真について指摘し、飯沢耕太郎はそれを受けてアレゴリー的 であると述べている。
Essay copyright(C): 杉田 敦